Chair Project 2021
チェア・プロジェクト
EWSは2020年1月1日「The Chair Project」を始動し、人々の故郷での思い出の物語を集めています。それは日本から始まりました。
世界を旅する1脚のイスが、そこに座る人々一人ひとりの物語を紡いでいきます。
コロナ禍、椅子はチリで暮らしているEWSの親族の物語を集め、大分県の離島、姫島村に帰ってきました。
姫島では、9歳から98歳までの老若男女50人の島民が、故郷での思い出や伝統・文化、環境保護への願いなどを語りました。
時代とともに、代々受け継がれてきた伝統が変容し、時には淘汰されても、思い出は残ります。EWSは、それらの記憶を記録し、本ウェブサイトでアーカイブしています。
姫島にしかない物語を、みなさんに知ってもらいたいです。
"The Chair Project"
EWS has been collecting people's hometown memories since January 1st, 2020. The chair travels worldwide, weaving the stories of the people who sit on it. On its journey, the chair collected the stories of EWS's relatives in Chile during the pandemic and returned to Japan to the remote island of Himeshima, Oita prefecture.
In Himeshima, fifty islanders, men and women from nine to ninety-eight years of age talked about their hometown memories, traditions, culture, and hopes for protecting their island’s environment. Over time, traditions passed from generation to generation are transformed, and some have disappeared, yet the memories remain; EWS recorded and documented those memories and archived them on this website.
The stories are unique to the island of Himeshima.
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N. Y.
Q: 今一番楽しいことはなんですか。
A: 友達と鬼ごっこをして遊ぶことです。私は海はあまり行きません。
Q: 学校で一番楽しい教科はなんですか。
A: 体育です。
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E.A.
Q: 姫島に来たきっかけは。
A: 主人が大分の県立病院で務めとって、終戦直後だったから私もついて来ました。
Q: どうやって知り合ったんですか。
A: "お見合い。私が伊比井に帰って、私の姉さんも伊比井で、お父さんが開業しとって…。どっちも自営や。うちの主人も姉さんの主人も外科医で。その兄さんの方もソ連に行って…。
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T. M.
Q: 姫島の生まれですか。
A: 生まれも育ちも姫島です。
Q: 姫島で心に残っている思い出はありますか。
A: いっぱいあるんですけど…。子どもの時は一番海で遊びました。海で泳いだり、魚を獲ったり、海藻とか貝を採ったりしたことが一番の思い出ですね。
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H. K.
Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: 姫島で生まれて姫島で育って、ずっと姫島なんですけど、今と昔の遊びが全然違うんです。昔は本当にただ遊んだことが一番、ほんと自然の中で遊んだことが一番の思い出ですね。今とは全然港の形も違うし、遊びも違うし…。海でもう真っ黒になって遊んで、学校から帰ったらランドセルをポンと置いて遊びに行って、夕方まで帰ってこなくて怒られたことがよくありますけど。今のように家の中で遊ぶことなんか、まずなかったですね。だからそれが思い出ですね。
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S. N.
Q: きつねの踊りにはどんな思い出がありますか。
A: 物心がついたときから、当たり前のようにこのキツネ踊りを踊る。生活の一部で、思い出というのがないんですけど、まあ子どものころは踊りの練習が終わった後にアイスを食べるのが一つの楽しみでした。2才から踊ってたんですけど、今は2才とかだったら親が必ずついてきて連れてまわるんですけど、昔私が小さい頃は兄ちゃん達に連れられて盆壺を周ってたと聞いています。
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C. Y.
Q: 姫島でどんな思い出がありますか。
A: やっぱり灯台かな。島の灯台。父親が灯台守だったんで、最初子ども時代にあそこにいた頃は水道も電気もない生活をしてたけど、それでもすごく楽しかった。そこだね、一番楽しかったのは。外観はそのままに残っていても少しずつ失われたものもあるんだけど、私たちが使ってた釜戸とかは残ってるんです。そこに帰るね、気持ちはいつも。
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Y. T.
Q: 小さいころの思い出を教えてください。
A:島ですから当然のことながらお米は取れません。大きな川もありません。したがって、ほとんどイモと麦が私たちの飢餓を救ったと言っても過言じゃないと思います。特におイモ、甘藷(かんしょ=サツマイモ)の導入は姫島に続く庄屋の、小庄家6代目のセツオさんという方が、今の山口県がある中国地方から甘藷を導入して、そして砂地で何も取れないとこだけど導入したおかげで、島の人たちを飢餓から救ったというふうに言われています。
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N. K.
Q: 生まれ育ったところはどこですか。
A: 大分県国東市の国見町という、姫島の隣の町です。
Q: 姫島に来たきっかけは何ですか。
A: お母さんの実家が姫島だというのもあり、おじいちゃんおばあちゃんにお世話になって、将来姫島に住めたらと思っていたので移住してきました。
Q: おじいちゃんおばあちゃんのところに遊びに来た時はどんな様子でしたか。
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I. H.
Q: 姫島で一番心に残っている思い出はなんですか。
A: もう亡くなっているのですが、母方のおじいさんがとても好きでした。そのおじいさんが姫島のことを色々知っていて、古い昔話とか、ここには何があってとか教えてくれたんです。それで姫島のことをもっと知りたいと思うようになりました。高校と大学は姫島から出たのですが、大学の時に姫島に関連することが研究してみたくて卒業論文で研究しました。大分県の戦国時代に大友氏という大名がいたのですが、その水軍の拠点が姫島沖にあったという話を聞きました。おじいさんからも同じように聞いていたので興味を持ち、それを題材にして研究しました。今の私がある原点が母方のおじいさんなのです。小さい頃はいつも、土日になるとおじいさんがいた稲積に遊びに行って、島の古い話を聞いたり一緒に釣りに行ったりとか、そういうのが懐かしい思い出です。
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Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: 姫島の自然の豊かさは素晴らしいなって思ってます。アサギマダラも春と秋に年2回姫島に飛来してきます。全国的に見ても珍しいのですが、5月あたりは多い時で1000匹とかすごい数が飛来してくるんです。そういう自然の不思議ですかね。すごいと思っています。蝶の気持ちにならんとわからんのやけど、どうしてかねって思いはありますよね。それを皆さんに感じてもらいたいし、保護して将来につないでいきたい思いはありますね。姫島は小さな島ですけど、宝と言うかすごいと思っています。それをぜひ広めていきたいと思っています。
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H. M.
Q: 子供の頃の嬉しい思い出、悔しい思い出、怖い思い出などはありますか。
A: 姫島ではないけど、高校で島から初めて大分市に出たので、そこでは悔しい思いはしたかもしれない。それまで15年間島の中で、島の小っちゃい世界で生きてたので高校行って色んなとこから人が集まってきてることで、今まで出来た事が出来てなかったんだなあ…ていう挫折はしました。やっぱすごい田舎にいたんだなあという悔しい思いはすごくしました。
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M. H.
Q: 小さい頃の思い出はどんな思い出ですか。
A: "姫島での一番の思い出は、塩田の事業をお父さん達がしてる時のことです。私がまだ小学校4,5年生の時。ここは田舎やってね、お米のご飯なんか食べれんやったんですよ。イモと麦ばっかし。お米は買わないとなかったし、買うと言ってもお金がなかったから…。塩田事業が主やったね。それが一番思い出やね。
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K. H.
Q: 小さい頃の思い出の遊びは何ですか。
A: 姫島には高校がないので、私は中学校までしか姫島にはいませんでした。村外の高校を卒業して、村外の大学を卒業して、東京の方の会社に勤めまして、定年退職をして今また姫島に帰っています。姫島の思い出は中学生までの、子どもの頃というか、一番楽しい頃の思い出がたくさんあります。
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N. I.
Q: 子どもの頃はどんな風に遊びましたか。
A: みつけ海岸で潮干狩りをしたりとか、海水浴とか、あと姫島らしくはないけど灯台で家族でお花見をしてお弁当広げてっていうのをよく覚えています。卵焼きが好きだった。
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K. S.
Q: 姫島での暮らしの中で何か思い出はありますか。
A: そうですね…。自然がいっぱいで野菜がおいしいし、海の幸も豊富。そして何と言っても人と人との交流、ふれあいがやっぱ一番好きですね。
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A. E.
Q: 子どもの頃の忘れられない思い出はありますか。
A: "小学校くらいの思い出なんですが、昔僕は姫島に住んでいなくて、別の場所に住んでいました。じいちゃんが姫島に住んでいて、夏休みはほぼ毎年姫島に盆踊りを観に帰ってきていました。その盆踊りが僕の小さな頃の思い出として鮮明に残っているんです。何が鮮明かというと、夜の風景が幻想的なんです。まさに子どもからすると非日常というか…。いつもの生活とまったく違う。じいちゃんの家に泊まりに来て、姫島に来て、夏の盆踊りを2日観て…
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D. Y.
Q: 姫島での思い出で、一番心に残っていることは何ですか。
A: 私は35年前に大分の方から姫島にお嫁に来ました。最初にこの姫島に来た時に、なんとも言えないゆっくり流れる時間、心地良い風が吹いたのがすごく良くて、やはり住むならこういう所がいいなと思ったのが最初の印象です。青い空、青い海、白い雲。自然がいいと強く感じました。
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K. M.
Q: 姫島で生まれ育ったんですか。
A: 生まれたのは福岡です。
Q: 何がきっかけで姫島に来ることになったんですか。
A: 父親は四国の人ですが、母親が姫島の人です。
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S. R.
Q: 姫島での特別な思い出はありますか。
A: 思い出ねー。まあ昔は、もう遊ぶ所がおもちゃというか…。遊具とかそういうの無いから、もうずっと浜とかその近所で遊んでいたのが思い出ですかね。今はスクールバスがあるんですけど、まだその頃は子どもがこの辺も、7,8人はいたんですよ。で、今は道路が良くなってますけど、前はもう本当ギリギリ離合できるぐらいの幅の、きれいな道路じゃなくて、そこでバス待ってた。待つ間に遊んでいたのが楽しかったですね。
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D. M.
Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: 小さい頃は普通に遊んでいましたが、都会の人とそんなに変わらないんじゃないかと思います。でも現在がいいですね。浜に行ってワカメを取ったりとか、アオサを取ったりとか貝を掘ったりとか、今はすごく暮らしやすいですね、姫島が。
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T. M.
Q: 姫島で生まれ育ったそうですが、姫島で自分の心に深く残っている思い出はありますか。
A: やはりお父さんの存在かなと思います。私の父はずっと姫島で漁師をしていました。私も小さい頃からお手伝いでお父さんの持っている船で漁について行きました。そんな時父は、まず自分で考えてみなさいと何も教えてくれませんでした。そんなお父さんの姿を見て、まずやってみること。そういう所が私の性格を作ってくれたと思います。
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A. C.
Q: 姫島に来たきっかけは何ですか。
A: 主人と知り合って、福岡の方から姫島にお嫁に来ました。
Q: 自分の生まれ育った所と姫島の違いはありますか。
A: 一番違うのは環境です。私が生まれたところは周りが田んぼしかないのですが、ここは周りが海というところが一番慣れなかったです。夜寝ている時でも漁に出る船の音がするんです。その音がどこか怖いような感じがしました。今はもう慣れてぐっすり寝ています。
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E. Y.
Q: 子どもの頃は何をして遊んでいましたか。
A: 石けりとか、毛糸で二人であやとりしたり、ゴム飛びとかです。私たちが小さい頃は、生活するのが一生懸命だから、物心ついた時から畑仕事とか夕飯の支度とか、自分に手伝える事があったら手伝わされていて、あんまり遊んだ記憶がない。私は長女なので、小さいながらも夕飯炊いたりとか、たぶん戦力にはなってたと思う。
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H. K.
Q: 子どもの頃の思い出はどんな思い出がありますか。
A: 小さい時はワンパクというか男っぽい性格で、よく海に飛び込んだり泳いだりしていました。真っ黒になるくらい毎日泳いでいました。あとはバレーボールが大好きで、まだ部活がなかった小学生の頃から、よく先輩の練習を見に行っていました。
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I. H.
Q: あなたのふるさとでの思い出や、忘れられない思い出を教えてください。
A: 今まで生きてきたこの人生での忘れられないこと…。思い出というか忘れられないことは、27歳の時に人が一生かけてやることを一年でやってしまったというようなことがある。それは、前の年から家を建て始めて、翌年の4月に交通事故を起こして、その年の11月に今の家内…、まあ今の言うてずっとやけど、家内もらって結婚した。という、大体人が一生かかってするかせんかちゅうなことを、この一年でやってしまったということかな。自分の思いの中ではそういうことやな。
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E. F.
Q: 姫島での思い出はどんなものがありますか。
A: 姫島で生まれて、姫島で育ちました。ただし、高校と大学は違う地区に住んでいました。それからまた何年かして姫島に帰ってきて、それからもう三十何年経ったところです。姫島の思い出は、私たちが小さい頃…まだ小学生、中学生の頃は魚がたくさん獲れた。私たちみたいな素人、子どものド素人でも、十分食べるだけの魚が獲れたし、海藻や貝など色んなものがたくさん獲れた。あまり勉強したっていう記憶はなくて、夏になると朝から晩まで海で遊んでいたというような思い出しか残っていないです。
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O. H.
Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: 今の自分があるのは青年団かな。青年団との出会いが今の自分にあるのかもしらん。帰ってきてすぐに南地区の青年団に入るように言われて、27才の時に支部長を引き受けることになってね。そん時に顧問の人に演劇祭をやってくれんかと言われてね。地区で無くなっていた演劇祭を復活させようということで、それをやったんですよ。
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N. S.
Q: 姫島で生まれ育ちましたか。
A: そうです。西のほうでもって生まれ育って。養子ですので、家の他に出たことがありません。箱入り娘です。
Q: 子どもの頃は何をして遊んでいましたか。
A: 子どもの頃は山が遊び場。姫島では山に畑があるから、畑に行くんじゃなくて山に行く。芋、麦、それをずっと、物心ついた時から百姓の手伝いをしていました。
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T. N.
Q: どんなきっかけで姫島に来ましたか。
A: この島を知ったのは大体10年くらい前です。Google Earthが最初に稼働し始めた頃に、世界中の地形をよく見ていました。それで日本を見ていたら、国東半島の付け根のところに島があることに気づいて、拡大をしていったら道路や港があり、人が住んでいるところが見えました。その時に初めて姫島を知りました。
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N. S.
Q: 姫島で生まれ育ったのですか。
A: 生まれ育ちは姫島ではないです。夫が姫島の人なので、結婚してから姫島に来ました。姫島に住んで10年ぐらいです。もう随分慣れました。
Q: 最初はどのような感じでしたか。
A: 最初は、友達もいないし、不安な面がたくさんありました。上の子が4~5歳の時に姫島に来たので、幼稚園に入った時に他のママたちとうまくやっていけるかとか、姫島の環境に慣れるかとか、色々不安でした。子どもが小学校に入学してから他のお母さんたちと交流することが多くなり、色々話すようになってからは不安がなくなりました。
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F. T.
Q: 姫島で生まれ育ったということですが、昔はどんなことをして遊んでいたんですか?
A: 昔は魚釣りですね。僕のお父さんが漁師なので小さい頃から海で遊ぶのも好きだったんですけど、山に行って小鳥を捕ったり木の実を採ったり、木に登ったりそういう遊びも好きだったんで、両方ですね。
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K. M.
Q: 子どもの頃は何をして遊んでいましたか。
A: 海です。今は港がコンクリートで固められていますが、昔は海岸がずっと干潟でした。干潟で色々な遊びをしました。釣りをしたり、海藻を人形に見立てたりして遊びました。空想とか想像といった遊びが多かったです。釣りにしても、干潟でエサを自分たちで掘っていました。釣り竿なんかも、自分たちで笹を切ってきて、釣り糸を作って、それにエサをつけて釣ったりしていました。
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F. T.
Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: そうですね。一番大きな思い出は何かと言ったら、よく遊んだという思い出ですね。子どもの頃本当に良く遊んで、時間もあったんだと思います。なぜならば姫島の場合は、幼稚園が無かったんです。小学校からはじまってたんです。小学校に行くまでの6年間は全くの自由だったんですよ。その6年間っていうかな、その間ずーと周りの人達と遊んで暮らしてたわけですよね。
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D. M.
Q: 姫島での思い出を教えてください。
A: 私は北九州の門司から来ました。姫島で45年になります。子どもが3人いて子ども達も成人して何とか元気にやっていることが嬉しいです。今年71になりますけど、何とか元気でお寺の仕事ができることが嬉しいです。
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N. M.
Q: 姫島での思い出で心に残っているものはありますか。
A: 実は私は、生まれはここじゃなくて、大分県の中津というところなんです。青の洞門があるところ。そっちの方なんだけど、中学2年生の時にこっちに転校して来たんです。
Q: 中津と姫島では色々違うこともあると思うのですが、転校してきた時に一番驚いたことは何ですか。
A: その頃は、昼間に電気が来てなかったんです。それで、うちの父が電気会社に出ていたので、昼間に電気が通うようになるからって、こっちに転勤して来たんです。だから全然田舎やったですね。びっくりしちゃって…。中学2年生の頃だったから、それから3年生の一年間通って友達のいる中津の高校に行ったんです。向こうで結婚もしたんだけど、やっぱりここに戻ってきたからね。姫島に縁があったんかなと思っとるんよね。
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N. T.
Q: 姫島で生まれ育ったのですか。
A: はい。
Q: 子どもの頃の思い出は何かありますか。
A: 父親が漁師なんですけど、よく船に乗って動物園に行っていました。
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S. M.
Q: 姫島でどんな思い出がありますか。
A: 小さい時によくアウトドアで遊びました。外でよく遊んだというのが一番の思い出です。自分たちで遊びをみつけるんです。鬼ごっこでも地面に絵を描いて鬼ごっこするとか、姫島だけの遊びを作っていました。他にもビー玉で遊んだり、縄跳びしたりとか、色々していました。
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T. Y.
Q: 子どもの頃の姫島での思い出を教えてください。
A: 昔は海岸沿いの道路が狭かったんですよ。港から100mほど行ったところに私の実家がありました。昔はそこの道路の下が砂浜だったので、そこでよく遊んでいました。潮が引いてできた磯や、出てきた石を使って遊びました。また、砂浜や海岸で遊んだりしました。それが小さい時の思い出です。
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Y. M.
Q: 小さいころはどんな風に遊びましたか。
A: 小学生の頃は、フェリー乗り場の横の公園で鬼ごっこをしたりとかしていた。中学生くらいになると、友達の家でゲームしたりお絵描きしたりとかして家の中で遊んでいた。
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N. T.
Q: 姫島での思い出は何かありますか。
A: 姫島には商工会の職員として来ました。商工会の職員は大分県内を色々転々と転勤するんですが、この国東半島のこの姫島っていうところには、私来たことなくてですね。仕事で初めてここに来ました。最初の頃に姫島でビックリしたのが、全然知らない人からあいさつをしてもらえるっていうのが非常に好感が持ててですね。ほいでまあ、私も自然とあいさつを交わすっちいうような。もうそれはすごい。島にとって良い事じゃないかなあといつも思っています。
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T. I.
Q: あなたの忘れられない思い出を教えてください。
A: 母との思い出が一番の思い出です。95歳の母と、去年まで一緒に、温泉とか二人でよく行っていました。そして、母の背中を見てはこういう風になりたいなと思って…。
思い出といえばもう、ほんと自給自足の世界で…。もう今では考えられないんですけど、もうほんと山の上の方までね、竹を収穫して。それを藁で編んだかごで全部持って上がってね。帰る時はお芋とか掘って…。だから大変な世界でした。それがもう一番の思い出だからね。
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O. S.
Q: 姫島で子どもの頃はどんなことをして遊んでいましたか。
A: よく同級生と集まって、海辺に行って釣りしたりだとか、海辺で変わったものを探したりっていう遊びをよくしてたと思います。
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D. S.
Q: 姫島での思い出はどんなものがありますか。
A: 思い出はたくさんありますが…。私は兄弟男3人の三番目で、僧侶になるなんかこれっぽちも考えたことはなかったんですよ。長男次男とおりますから。しかし私が二十歳の時に父が急に事故で亡くなって…二人の兄はそれぞれの生活を持っていたから、その生活を崩してまでやり直す気はなかったのでしょう。まあ、そこらへんは私も二十歳で若かったですから、色々なことがあって皆様から勧められてここに帰ってきたわけなんですよ。それが何を言っても一番の思い出ですよね。
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M. S.
Q: 姫島の人はどんな人?
A: みんな親戚のような感じです。小さい時から他人という感じがしません。元をたどれば親戚なのかもしないませんが…(笑)。
Q: 姫島での思い出は?子どもの頃はどのように遊んだ?
A: 印象深い父との思い出があります。小学校3年生ぐらいの時、父のカブによく乗せてもらっていました。膝とか前によく乗せてもらっていたのですが、山道などは「運転しても大丈夫だから、お前も練習せえ」と言われて、乗ってみたりさせてもらいました。
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K. N.
Q: 昔はどのようにして遊んでいましたか。
A: 泳いで遊びました。
Q: 姫島の中で特別な思い出の場所はありますか。
A: 思い出すことはあまりないんです。こういうところがよかったなとか、振り返ってもあまり思い出さない。ずっと良いイメージがあるので、昔はここが良くて今はここがなくなったというのはなくて、ずっと住みやすいと思っています。
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H. Y.
Q: 姫島に来たきっかけは何ですか。
A: 以前私は関東にいたのですが、大分にUターンして就職したいと思っており、姫島がジオパークになった時にちょうどジオパークで専門員を探していて、地質をやっていたので姫島に来ることができました。
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H. D.
Q: 子どもの頃は何をして遊んでいましたか。
A: 子どもの頃は野球が好きだったので野球をしたり、海に行って魚を獲ったり…。そうですね、外で遊んだりしていました。
Q: 何か昔の遊びで心に残っているものや、怖い思い出や嬉しい思い出、悲しい思い出などありますか。
A: 怖い思いをしたのは、小さい頃に親戚のお兄ちゃんに海に連れて行かれて、足が届かないのに海にポンと投げ出されて、めっちゃおぼれたのを覚えています。怖かったです。めっちゃ怖かったです。